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2009年02月18日

50年の歴史 前編



今日は、群馬フラワーハイランド50年の歴史についてお話しようと思います。



これは、昭和59年5月6日・今から25年前上毛新聞・総合ワイドに

掲載された記事です。



花に賭けたこの人生・夢の実現に着々


安中市西上秋間にある群馬フラワーハイランド。隣には有名な秋間梅林がある。

経営者の中山圻(さかい)は、50年前、たった一人で山(5ヘクタール)の開墾に着手。

そして、群馬フラワーハイランドとなって50年目の今年、見事に花に賭けた人生が開花した。

梅、水仙、しだれ桜、つつじ・・・今や遅しと開花を待っている。

梅・つつじなど8万本の花木


山をそっくり切り開いた園内には、3万本以上のつつじ・20万本の水仙をはじめ

しだれ桜や梅が山腹の傾斜に沿って、バランスよく配置されている。

勾配のゆるい坂道を登ってゆくと満開の桜が細い道を覆い、岩ツツジの鮮やかな

紫色が目に飛び込んでくる。

木々の間には、かわいいオオイヌノフグリやホトケノザ、タンポポなどがびっしりと生え

見渡す限り花、花、花の世界。お客様から「まぁ、何とも言えない美しさですね。

これほど見事な花の山が県内にあるとは思わなかった。是非、他の人にも

見せたい。」と絶賛。

毎日、朝と晩の2回山を歩く中山さんは「梅から水仙、しだれ桜からつつじへと

次々に花が咲く季節(3月から5月)が一番気にいっています。

群馬フラワーハイランドがあるところは、安中市西上秋間森熊。文字通りの山奥である。

今でこそ道路は舗装され、梅のシーズンともなれば20万人近い人が訪れる観光地。

ところが、20歳の中山さんが「花園」を造ろうと思い立った昭和35年は、入山者もいない

へき地だった。十数戸の農家は、梅の出荷などで細々と暮らすのが精一杯だった。

両親の死が転機に・・・


貧しい山里の村で「山を切り開き、気や花を植え、美しい観光園を造りたい」・・・

そんな考えが受け入れられないことは、本人が一番良く知っていた。

誰にも相談できなかった。

ちょうどその頃、両親が相次いで亡くなった。

「大変なショックだった。」と静かに語る中山さん。

だが、両親の死が「観光園をやろう」と言う転機になった。

それからの中山さんは、まるで憑かれたかのように夢を追いかけた。

農作業のヒマを見ては毎日山へ出かけた。

地面をびっしり覆うヤブをナタで払い、何百本という木をノコギリで切り倒した。

何から何まで一人きりだった。

3年目、やっと山を切り開くことができた。





少し長くなってしまうので今日は、ここまでにしておきます。

次回は、国を歩き構想を練です。







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