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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション at

2009年02月19日

50年の歴史 後編



群馬フラワーハイランド50年の歴史・続編」として

昭和59年5月6日・上毛新聞・総合ワイドに掲載された記事を

ご紹介します。





全国を歩き構想を練る

すでに変人扱いされていたが、周囲の声には耳を傾けなかった。

夢の実現に着手してから10年間で、九州から北海道まで約50~60箇所

の観光地、公園、庭園を歩き、自分の目を養ってきた。

山に植える木や草は、それらの経験をもとに、位置、形、配色などの条件を

考え合わせ、細かく計算されていった。

最初に1,000本のヤマツツジを植えた。

翌年は、栗(1,000本)続いて桜(500本)、梅(1,000本)、つつじ(3万本)

そして数え切れないほどの水仙なども・・・。

長い間温めていた構想を一気に実現させるかのように、次々と植え始めた。




待望のオープンで評価一変




昭和40年には、県下に先がけて栗園を実施。周囲の冷笑をよそに

これが大当たりだった。

昭和44年、待望のオープンにこぎつけた。と同時に「よく頑張った。」

「大したものだ。」と評価も一変。中山さんの夢は、まさに花の開花と歩調をあわせる様に

着実に実を結んできたのである。

中山さんは、「四季折々の花が、自然に咲く花園を造ることが夢でした。

自分の代で花を咲かせる夢は何とか実現できました。花は、子供みたいなもので

手を抜くと翌年に咲かなくなってしまうのです。子や孫の代で、さらに

美しい花が見られるように、これからもこまめに手入れを続けていきますよ。」

と“わが子”の成長を頼もしそうに見つめる中山さんだった。

                                     (宮川勉記者)



オープンしたての群馬フラワーハイランドはまだ、丸坊主。



現在は、全山花に包まれている。




50年前、父が人生を花に賭けて造ったこの群馬フラワーハイランド

皆様にも、花山に足を踏み入れた瞬間、父の夢が、苦労を重ねた人生が

そして家族の思いが伝わるかと思います。

花も生きています。

天候にとても左右されます。

皆々様が、花の見頃をみることは難しいかも知れません。

ですが、今日も父は、花の手入れに手を抜くことは、ありません。

皆様が喜んで頂ける事だけを願って、

家族一同、お待ちしております。

  


Posted by たんぽぽ at 17:16Comments(2)50年の歴史

2009年02月18日

50年の歴史 前編



今日は、群馬フラワーハイランド50年の歴史についてお話しようと思います。



これは、昭和59年5月6日・今から25年前上毛新聞・総合ワイドに

掲載された記事です。



花に賭けたこの人生・夢の実現に着々


安中市西上秋間にある群馬フラワーハイランド。隣には有名な秋間梅林がある。

経営者の中山圻(さかい)は、50年前、たった一人で山(5ヘクタール)の開墾に着手。

そして、群馬フラワーハイランドとなって50年目の今年、見事に花に賭けた人生が開花した。

梅、水仙、しだれ桜、つつじ・・・今や遅しと開花を待っている。

梅・つつじなど8万本の花木


山をそっくり切り開いた園内には、3万本以上のつつじ・20万本の水仙をはじめ

しだれ桜や梅が山腹の傾斜に沿って、バランスよく配置されている。

勾配のゆるい坂道を登ってゆくと満開の桜が細い道を覆い、岩ツツジの鮮やかな

紫色が目に飛び込んでくる。

木々の間には、かわいいオオイヌノフグリやホトケノザ、タンポポなどがびっしりと生え

見渡す限り花、花、花の世界。お客様から「まぁ、何とも言えない美しさですね。

これほど見事な花の山が県内にあるとは思わなかった。是非、他の人にも

見せたい。」と絶賛。

毎日、朝と晩の2回山を歩く中山さんは「梅から水仙、しだれ桜からつつじへと

次々に花が咲く季節(3月から5月)が一番気にいっています。

群馬フラワーハイランドがあるところは、安中市西上秋間森熊。文字通りの山奥である。

今でこそ道路は舗装され、梅のシーズンともなれば20万人近い人が訪れる観光地。

ところが、20歳の中山さんが「花園」を造ろうと思い立った昭和35年は、入山者もいない

へき地だった。十数戸の農家は、梅の出荷などで細々と暮らすのが精一杯だった。

両親の死が転機に・・・


貧しい山里の村で「山を切り開き、気や花を植え、美しい観光園を造りたい」・・・

そんな考えが受け入れられないことは、本人が一番良く知っていた。

誰にも相談できなかった。

ちょうどその頃、両親が相次いで亡くなった。

「大変なショックだった。」と静かに語る中山さん。

だが、両親の死が「観光園をやろう」と言う転機になった。

それからの中山さんは、まるで憑かれたかのように夢を追いかけた。

農作業のヒマを見ては毎日山へ出かけた。

地面をびっしり覆うヤブをナタで払い、何百本という木をノコギリで切り倒した。

何から何まで一人きりだった。

3年目、やっと山を切り開くことができた。





少し長くなってしまうので今日は、ここまでにしておきます。

次回は、国を歩き構想を練です。




  


Posted by たんぽぽ at 17:38Comments(0)50年の歴史